「働き方図鑑」シリーズでは、「あなたの当たり前は他人の学び」をテーマに、様々な職業の方、様々なキャリアを重ねてきた方の働き方に焦点をあて、隣の誰かがどのような仕事にどのような思いで取り組んでいるかを紹介いたします。今回は、教育事業からインフラ事業にキャリアチェンジした林さんの物語です。
1964年京都生まれ ― 家族と共に歩んだ人生の原点

林さんは1964年京都生まれで、大阪府立大学(現大阪公立大学)の数理工学科を卒業後、教師の道を選びました。最初は私立の女子中学・高校で23年間数学教師として勤務し、その後、学校の経営状況悪化により公立中学校に転職し12年間勤めました。現在は教師を退職し、「全国事業協会」というインフラ事業の代理店業を中心に、コンテンツ販売やコーチング事業も行っています。この過程には趣味のハンググライダーの事故で左目を失明した経験があり、それを乗り越えて再び飛べるようになった経験も語ってくれました。自身の経験から若者へのアドバイスとして、自分に合わない仕事や自分を見失うような仕事を選ばず、自分の特性を知った上で理念に共感できる仕事を選ぶことの大切さを語りました。
―― 幼少期について教えてください。
林:僕は京都で生まれ、4歳頃から大阪の富田林で育ちました。中学3年まで過ごした後、父の転勤の関係で愛知県豊橋に移り、高校生活を送りました。家族との関わりは、後の人生選択に大きな影響を与えています。
家族構成は父、母、弟の4人家族。父は厳格ながらも家族思いで、母は日常の細やかな家事や教育を担当し、弟とは年齢差も近く、兄弟で切磋琢磨する環境がありました。この家庭環境が、林さんの「他者との協調性」と「努力を重ねる姿勢」を育んだといいます。
―― 子どもの頃から夢中になったことはありますか?
林:そうですね。勉強や遊びに夢中になれる性格でした。好奇心旺盛で、興味を持ったことには全力で取り組む。それがその後の教師としての姿勢や起業家としての挑戦にもつながっています。
数学と教育の道へ ― バブル期にあえて会社員を選ばなかった理由
―― なぜ教師の道を選んだのですか?
林:大学では大阪府立大学で数学を学びました。バブル期には誰もが大企業への就職を目指していましたが、僕はあえて教師を選びました。僕の当時のイメージはもう会社に入ったら、もうずっと働かされるというイメージだったんです。昔、24時間働けますか?っていうリゲインのCMがあったと思いますが、そんな感じです。
大阪府立大学数理工学科に入学した林さんは、数学や物理学、統計学などの高度な理論を学ぶ日々を送りました。難解な数式や理論の積み重ねに挑む中で、論理的思考力と分析力を自然に身につけることができました。一方で、大学生活の中で気づいたのは「数理工学科で学んだけど、研究職や技術職がやりたい仕事ではない」という感覚がありました。
周囲の友人たちは、いわゆる大手企業や安定した職業に次々と内定を得ていました。IBM、富士通、松下電器など、当時の名だたる企業への就職はステータスでもあり、周囲の目にも輝かしく映りました。しかし林さんの胸の内には、違和感がありました。「就職できるから」という理由だけで人生を決めてしまっていいのだろうか――。
「会社員として安定した収入を得ることは確かに魅力的でした。でも、もし自分がその道を選んだとして、本当にやりがいを感じられるのだろうか。毎日が数字や効率だけに追われる生活になってしまうのではないか」
林さんは自問を繰り返すうちに、教育の道へと意識が向きました。大学時代には教育実習やボランティア活動を通して、生徒たちが「理解できた!」と喜ぶ瞬間に立ち会う経験を積みました。その瞬間の生徒の表情は、どの企業で得られる給与や地位よりも、ずっと心を動かすものだったといいます。
教師の給与は、当時の企業勤めに比べて必ずしも高くはなく、社会的評価も安定しているとは言い難い状況でした。しかし林さんは、社会に貢献できる「生きた知識」を伝える教師としての責任と誇りを重視しました。特に、バブル期における企業優先の風潮が強まる中で、「個人の価値をお金や肩書だけで測る社会の在り方」に疑問を抱いたことも、教育への志向を強めた要因です。
―― 教師という仕事の魅力は何でしょう?
林:数学の知識を直接生徒に伝えられることです。「わかった!」と言われた瞬間、生徒の理解を手助けできた喜びは何物にも代えがたいものです。
教師としてのキャリアは、単に知識を伝えるだけでなく、若者の人格形成や人生の選択に寄り添う重要な役割を担うことになると林さんは考えていました。
―― 会社員にならなかったことで不安はありませんでしたか?
林:もちろん少しはありました。でも自分で選んだ道ですし、自分の力を発揮できる環境で挑戦したいと思いました。結果的にそれが正解だったと思います。
女子教育と教師人生23年 ― 「わかった!」の瞬間に感じた喜び
―― 私立女子中高での教師生活はいかがでしたか?
林:23年間、数学を教えました。女子教育の重要性を強く感じていました。優秀な女性を育てることは、日本社会全体を良くすることにつながると考えています。
大学卒業後、林さんは私立の女子中学・高校に勤務することになりました。勤務した当初は、教師としての経験はほとんどなく、授業の進め方や生徒指導の方法、保護者とのコミュニケーションに至るまで、すべてが手探りの状態でした。しかし、試行錯誤をしながらベストの方法を探して挑戦していき、こちらの思いが伝わったときの喜びは、彼にとって大きなやりがいとなっていきます。
教師としての最初の挑戦は、ただ知識を伝えるだけではなく、生徒の個性や理解度に応じて授業を柔軟に変化させることでした。女子校という環境は、学力だけでなく、生徒一人ひとりの性格や感情面も授業や生活指導に大きく影響します。林さんは、学力差や性格の違いを把握し、個別に対応する努力を重ねました。
「先生、わかりました!」
この一言を生徒から聞く瞬間は、林さんにとって何にも代えがたい喜びでした。どれほど難しい問題でも、生徒が理解し、自分の力で解答にたどり着いた瞬間の笑顔は、教師としての使命感を最も実感できる瞬間です。
一方で、女子教育の現場には独自の課題もありました。伝統的な教育観や固定概念に縛られた校風の中では、新しい授業方法や生徒との対話型指導を導入することは容易ではありません。林さんは、創意工夫を重ねながらも、時には保守的な教育観と衝突することもありました。しかし、その困難を乗り越えることで、教育者としての信念と忍耐力を培いました。
―― 困難な場面はありましたか?
林:もちろんです。家庭環境が複雑な生徒や保護者との意思疎通は難しいです。学校組織の制約で現場の裁量が少ないこともありました。でも、それも教育者としての成長の一部です。
23年間の私立学校での経験は、林さんにとって教師としての基盤を築く期間でした。授業や部活動、進路指導、保護者対応など、多岐にわたる業務に取り組む中で、教育の奥深さと責任の重さを学びました。また、生徒たちが成長し、自らの進路を切り拓く姿を見ることは、教師としての最大の報酬となりました。
林さんは振り返ります。「生徒が自分の力で理解し、できるようになった瞬間、その喜びは言葉にできないほど大きい。それこそが、教師を続けてきた理由です」。教師としての誇りや達成感は、23年間の教育人生を支える原動力となりました。
公立中学への転職と現場の葛藤 ― 教育現場で見た課題と不安
―― 公立中学に転職した理由は何ですか?
林:私立学校の経営悪化や給与減少がきっかけです。安定のためではなく、学校や家族の将来を考えた結果、転職を決意しました。
私立女子中学・高校での23年間の教師生活を経た林さんは、教育現場におけるキャリアの大きな転機を迎えます。それは、学校経営の悪化による給与減や将来の不安から、公立中学校への転職を決断した瞬間でした。長年勤めた私立学校を離れる決断は、林さんにとって決して簡単なものではありませんでしたが、「家族の将来」と「自身の教育者としての継続性」を考慮した上での選択でした。
―― 公立中学校での現場はどうでしたか?
林:多様な生徒が集まるため、指導やコミュニケーションの難しさを実感しました。教育委員会の指示に現場の意見が反映されにくいこともあり、葛藤もありました。
公立中学校への転職は、私立での経験とは全く異なる環境での挑戦を意味しました。公立の教育現場では、教育委員会や行政からのトップダウンの指示が多く、教師個人の裁量が制限されることがあります。授業や教材の内容、指導方針に関しても、教育委員会の方針に従う必要がありました。林さんは、これまで自ら考え、工夫してきた授業運営をどう調整するかに悩む日々を送ります。
さらに、公立中学では生徒の背景が非常に多様で、学力や家庭環境も千差万別でした。学習に熱心な生徒もいれば、家庭の事情で学習意欲が低い生徒もいます。そのような中で、生徒一人ひとりの理解度に応じた指導を行うことは、私立学校以上に難易度が高い挑戦でした。
「生徒の理解や反応が、思うように伝わらないことがあります。私が伝えたいことが届かない、あるいは保護者との価値観の違いから摩擦が生じることもあります。」林さんは、公立中学での教育におけるしんどさを率直に語ります。しかし一方で、公立学校での経験は、教育者としての柔軟性や対応力を格段に高める機会ともなりました。困難な状況に直面することで、授業の工夫やコミュニケーション能力を磨き、教師としての幅を広げることができたのです。
―― 転職について後悔はありますか?
林:当時は悩むこともありましたが、早めに行動する重要性を学びました。結果的に、家族や生徒の将来を考えた正しい選択だったと思います。
多様な生徒や制度の制約に向き合う中で得た柔軟性や対応力は、後のハンググライダー事故や起業家としての挑戦に向けた精神的な基盤となったと思われます。
ハンググライダー事故と片目失明 ― それでも空を飛び続けた強さ
林さんの人生には、教師としてのキャリアだけでなく、趣味であるハンググライダーが重要な位置を占めています。空を飛ぶことは、彼にとって自由と達成感の象徴であり、日常の喧騒や教育現場でのストレスを忘れさせてくれる貴重な時間でした。しかし、人生は時として予期せぬ試練を与えます。林さんは約15年前、ハンググライダーでの飛行中に事故を経験し、左目を失明するという大きな困難に直面しました。
―― ハンググライダーでの事故について教えてください。
林:15年前、着地に失敗し左目を失明しました。その時は絶望しましたが、ハンググライダーの師匠の指導を受けて再び飛べるようになりました。
事故当日、林さんは好条件の中で約2時間の飛行を楽しんでいました。しかし着陸時に枝にぶつかり、左目を損傷する大事故となったのです。病院で「左目は失明しました」と告げられた瞬間、彼の心には絶望が広がりました。「人生が終わったかもしれない」という強い衝撃、仕事や家族への不安、趣味を失う喪失感が一気に押し寄せました。特に当時、子どもたちはまだ小さく、家族としても大きな責任を抱える中での出来事でした。
失意の中で次の一歩を考えました。ハンググライダーの師匠に相談したところ、「片目でも飛べる方法はある」と励まされます。この言葉が転機となり、林さんは失われた視覚を補う技術と感覚を身につけるための訓練を始めました。目標は明確でした。「もう一度空を飛ぶこと」。目の不自由さを逆手に取り、着地や距離感の感覚を徹底的に体で覚える訓練に取り組みました。
―― 片目失明後、どうやって飛び続けられたのですか?
林:地面の高さや距離感を感覚で掴む必要があり、怖さもありました。しかし師匠の指導と努力で、再び空を飛ぶことができました。これは人生の逆境を乗り越える力にもつながりました。
片目での飛行は、想像以上に困難を伴いました。立体感の把握が難しく、一緒に飛ぶ仲間のグライダーとの距離感、着地時での高度感、これが正しく掴めないので最初の数回は恐怖心との戦いでした。しかし、林さんはあきらめず、師匠の指導の下で飛行技術を再構築します。高度や風の変化、着地のタイミングをすべて体で覚え直す作業は、精神的にも肉体的にも非常に厳しいものでした。
その努力の末、林さんは再び空を飛ぶことに成功します。「飛べないと思っていたことができるようになる瞬間の喜びは、教師として生徒に『わかった!』と言われた瞬間と似た感覚でした」と振り返ります。事故を通じて得た経験は、単なる趣味の延長ではなく、自己克服の力と挑戦への勇気を教えてくれたのです。
この経験は、教師としてのキャリアやその後の起業家としての挑戦にも大きな影響を与えたに違いありません。林さんは、「困難に直面しても、諦めずに努力することで道は開ける」という実感を持つようになり、それが副業や社会貢献事業への挑戦を後押ししました。片目失明という逆境を乗り越えた経験は、人生の不確実性に対する強い精神力を養う契機となったのです。
定年を前に選んだ挑戦 ― インフラ事業の代理店と社会貢献事業への参入
―― 起業のきっかけは何ですか?
林:世の中の仕事を分類したときに、報酬のもらい方で2種類に分けることができます。
1回の労力で1回の報酬がもらえる労働収入。1回の労力で複数回の報酬がもらえる権利収入。年齢と共に体力面の不安を感じていて、権利収入になるものを欲しいと思っていたときにインフラ事業に出会いました。誰もが、ずーと使い続けるインフラ利用料をもらうビジネスに挑戦すること、これが起業のきっかけです
長年にわたる教師生活を経て、林さんは人生の新たな挑戦の時期を迎えます。公立中学での勤務を続けながらも、定年を前に「今後の人生、教育だけに縛られず、自分のスキルを活かせる新しい道を探したい」という思いが芽生えていました。個人的にマーケティングやコンテンツ制作など様々な学びをする中で、きっかけとなったのが、教育関連の書籍を通じて知り合った方との交流でした。その人から紹介されたのは、インフラ事業の代理店という、従来のキャリアとは全く異なる分野でした。当初は未知の領域への挑戦に不安もありましたが、林さんは「教育で培ったコミュニケーション能力や問題解決力を活かせる」と考え、慎重に事業の可能性を検討しました。
―― 事業の魅力は何でしょう?
林:初期費用が少なく、継続的収入が見込めることです。さらに、生活コストを改善したり地域経済を活性化したりと、社会に還元できる点が大きな魅力です。
ペンギンモバイル誕生のきっかけには、社会を震撼させたある事件がありました。2006年、京都伏見の介護殺人事件です。年配の方が認知症の親を面倒見るために会社を辞めざるを得ず、失業保険が切れた後に、生活保護の申請をしたが、それも不受理になってしまいました。
その後、いろいろな支払いが滞り、最後に残ってたのは携帯電話の支払いだったそうです。最後に、もう本当のわずかなお金でパンを買ってお母さんとの京都の観光をした後に無理心中を図るという事件でした。結局、息子さん本人は死にきれずに裁判になって話題となりました。この事件を知った森勇樹さんが、「貧困がきっかけに起こる事件をなくしたい。貧困層を救いたい」と思い、起こした事業が格安SIMを扱うペンギンモバイルです。林さんは、こうした経緯を知り、そこに共感を覚えました。
―― 教師時代の経験は生かせましたか?
林:コミュニケーション力や問題解決力が事業運営に直結しています。生徒との関わりで培った能力が、顧客対応やサービス提案で生きています。
インフラ事業の代理店としての活動は、林さんに新たな達成感をもたらしました。「お客様から『料金が下がって助かりました』と言われた瞬間、教師時代の『わかった!』の感覚と同じ喜びを感じます」と語ります。この感覚は、単なる収益の獲得ではなく、生活改善や地域社会への貢献という意味での充実感でした。
さらに林さんは、携帯代の見直しだけでなく、電気・ガス、光回線、WiFi、お水(ウォーターサーバ)などインフラ全般のサービスを組み合わせながら家族や個人に最適なプランを提案するスキルも身につけました。紹介制度や家族契約によるメリットを丁寧に説明し、顧客満足度を高めることで、継続的な収入と信頼関係の双方を築きました。
キャリアと人生の選択 ― 自分を活かせる働き方を見つける
長年教師として生徒に向き合い、ハンググライダーで自分自身に挑戦し、ペンギンモバイル代理店として社会貢献を行う――林さんの人生は、挑戦と選択の連続でした。その中で一貫して大切にしてきたのは、「自分の特性を理解し、それを活かせる働き方を選ぶこと」です。ここでは、林さんがどのように自己理解を深め、キャリアや人生の選択に反映させてきたかを語っていただきました。
―― 自分の特性を活かす働き方とは何ですか?
林:給与や安定性だけで選ばず、自分の価値観や得意分野を活かせる仕事です。迷ったら行動することが大切です。
教師としての経験から学んだことは数多くあります。生徒一人ひとりの理解度や性格に合わせた指導、保護者との関係構築、学校組織内での調整――これらはすべて、人とのコミュニケーション能力や問題解決力を磨く場でした。しかし、同時に林さんは「自分の特性を活かせない場での働き方」がいかにストレスになるかも痛感しました。公立学校でのトップダウンの指示や、伝統的な価値観に縛られる私立学校での経験は、組織の制約に従うだけでは十分に力を発揮できないことを教えてくれたのです。
その学びを活かし、林さんは起業家としての道を選ぶ際に、まず「自分が得意で、やっていて楽しいことは何か」を徹底的に考えました。営業活動で顧客と向き合うこと、問題解決の過程で相手に貢献すること、サービスを通じて生活の改善や社会への価値提供を実感できること――これらはすべて教師時代に培った強みを活かせるフィールドでした。
また、林さんは働き方を選ぶ際に「理念への共感」を重要視しています。単に収入が高い、安定しているといった条件だけで働くのではなく、自分が関わることで意味や価値を感じられるかどうかを基準にしています。ペンギンモバイルで代理店としての活動を選んだ背景には、顧客の生活を支え、地域社会に貢献できるという理念への共感があります。「お金だけではなく、社会に良い影響を与えられるかどうか」が、林さんのキャリア選択の大きな軸となっています。
―― 自己理解の方法はありますか?
林:過去の成功や失敗を振り返り、自分の強みを明確化します。教師時代やハンググライダーの経験を思い出すことで、適性や興味が見えてきます。
自己理解を深める過程では、趣味や興味、過去の成功体験や困難体験を振り返ることも重要でした。ハンググライダー事故で片目を失った経験は、失敗や逆境に対しても挑戦を続ける力を育むきっかけとなり、教師としての忍耐力や問題解決力と結びつきました。自分の強みと弱みを正しく把握し、それに合った働き方を選ぶことで、仕事に対するストレスを軽減し、より充実した人生を築くことができると林さんは考えています。
さらに林さんは、キャリア選択を行う上で「早めの行動」が重要だと強調します。公立中学校への転職を決断した経験や、副業を通じて起業家としてのスキルを磨いた経験は、リスクを先送りせずに早期に行動することで、後悔のない選択を可能にしました。「迷ったらまず行動する。その過程で見えてくることが多い」という姿勢は、林さんのキャリア哲学の根幹です。
若者へのメッセージ ― 「お金だけで選ばず、自分の特性を信じて」
―― 若者に伝えたいことは?
林:お金や条件だけで仕事を選ぶと、ストレスや不満がたまります。自分の特性や価値観に合った仕事を選ぶことが、長期的な幸福につながります。
林さんが強く意識するのは、働くことで得られる「満足感」と「成長感」です。教師としての経験で感じた「生徒がわかったと言ってくれる瞬間の喜び」は、単なる給与や待遇以上の価値がありました。同様に、ペンギンモバイル代理店として顧客の生活を支え、喜んでもらえる経験も、報酬以上の充実感をもたらしています。林さんは、この「やりがいを感じられるかどうか」が、キャリア選択で最も重要なポイントであると考えています。
若者への助言として、林さんは具体的にこう語ります。「例えば、給料が高いから、儲かるからという理由だけで選んだ仕事が、自分に合わず、毎日大きなストレスを感じることがあります。逆に、自分の得意なことや興味のある分野であれば、多少条件が厳しくても、楽しみながら続けられる。長期的に見て、幸福度の高い人生につながるのは後者です」と。
―― 挑戦や失敗を恐れる若者へのアドバイスは?
林:挑戦を恐れず、まず行動してください。理念や価値観に共感できる仕事を選ぶことで、満足度の高いキャリアが築けます。
林さんは、挑戦と行動の重要性も強調します。「迷ったらまずやってみること。やらなければわからないし、経験することで自分の適性や価値観がはっきり見えてきます」と語ります。これは、公立中学への転職を早めに決断した体験に裏付けられています。行動することで得られる学びや気づきこそが、人生の選択をより確かなものにしてくれるのです。
林さんはまた、失敗や困難を恐れず挑戦することの価値も伝えます。ハンググライダーで片目を失った経験は、若き日からの挑戦がいかに自己成長につながるかを示す象徴です。「逆境や失敗は避けられないが、それを乗り越えることで新たな自分に出会える」と林さんは語ります。この教訓は、就職やキャリア選択に悩む若者にとって、勇気を与えるものです。
そして最後に、林さんはキャリアを考える際の姿勢を総括します。「自分の特性を知ること、自分が楽しいと思えることを大切にすること。そして、お金や条件だけで判断せず、理念や価値観に共感できる仕事を選ぶこと。これが、長期的に満足できるキャリアを築く秘訣です」と強調します。
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