働き方図鑑:シルクスクリーンで人生を刷り直す

「働き方図鑑」シリーズでは、「あなたの当たり前は他人の学び」をテーマに、様々な職業の方、様々なキャリアを重ねてきた方の働き方に焦点をあて、隣の誰かがどのような仕事にどのような思いで取り組んでいるかを紹介いたします。

働き方図鑑:シルクスクリーンで人生を刷り直す

「プリントって、ただの作業やと思ってた。でも、誰かがそれを体験するとき、僕には見えなかった“価値”が立ち上がってくるんです」

そう語るのは、株式会社よしむらしるくすくりーんを経営する営む吉村大(だい)さん。高校卒業後すぐに働き始め、家業を継ぎ、印刷業界の荒波にもまれながらも、自分なりの「価値ある仕事」の形を見つけ出してきました。実直で、ぶれない職人の生き様には、“働くこと”の本質が静かに息づいています。

黒子”から”伝え手”へ。Tシャツプリント職人が見つけた、人生の本当の価値

吉村氏は、株式会社よしむらしるくすくりーん 代表取締役 1981年、京都府南部生まれました。Tシャツプリント業に20年以上関わってきた職人だ。家業はプリント業を営む。高校時代からアトピーに悩まされるも、バスケットボールに熱中。大学進学ではなく、家業を手伝う形でプリント業界へ。業界の変化に対応するため、プリントワークショップ FUN THINGS KYOTOを立ち上げ、技術の伝承と社会貢献を目指します。異業種交流を通じて新たな価値観を築き、現在はシルクスクリーン印刷の技術を広めながら衣料品廃棄を減らし、障がいある方も分けないインクルーシブ社会を作る活動に注力しています。「作る」から「伝える」へと、人生のステージを移してきた経緯についてお話を伺いました。

吉村さんは語ります。

「プリントって、ただの作業じゃないんです。目の前で“思い”が形になる。その瞬間を誰かと共有できるのが、何よりうれしいんです」

「働く」を選んだ18歳、汗とアトピーとプリントのはじまり

――高校卒業後、すぐに就職されたとのことですが、そのときの気持ちは?

吉村:正直なところ、「これをやりたい!」という明確な目標はなかったんです。大学に行く選択肢もありましたが、勉強が得意ではなかったですし、早く社会に出て働きたかった。母には高校卒業したら実家を出て1人暮らしをしなさいと言われ、大阪のTシャツプリント会社に就職しました。父の知り合いの会社だったんです。

――初めての社会人生活はどうでしたか?

吉村:最初はとにかく毎日がしんどかったです。夏場は工場が40度近くなるし、単純作業の連続で、心身ともに消耗していました。でも、自分が刷ったTシャツを街中で誰かが着てくれているのを見たときは、不思議な達成感がありました。あれは今でも覚えています。

――半年で辞めることになった理由は?

吉村:アトピーが日に日に悪化し全身へひろがり酷い状況になったんです。毎日インクや溶剤に触れるので、肌への負担が大きかった。病院の先生からも「このまま続けたら治らない」と言われて、泣く泣く辞めました。社会の厳しさと、自分の身体の限界を同時に突きつけられたような感覚でしたね。

家業との再会、父との対立、そしてもう一度始めたプリントの道

――実家に戻ってからは、どんなふうに過ごしていましたか?

吉村:最初はしばらく療養していました。父の営むプリント工場が非常に忙しい時期で、自然と手伝うようになったんですが、やっぱり子どもの頃から見てきた仕事ですし、少しずつ「自分でもやってみたい」という気持ちが芽生えてきました。

――お父様との仕事はスムーズでしたか?

吉村:全然(笑)。父は典型的な昭和の職人で、とにかく効率重視、無駄を嫌うタイプ。僕はもっと「丁寧にやりたい」「デザインにもこだわりたい」と思っていたので、毎日のように衝突していました。ある日、とうとう我慢できなくなって、「出て行く」と言って工場を飛び出しました。

――その後、神戸の会社に移られたんですね。

吉村:はい。神戸のプリント会社では、少人数の現場で自分のペースで仕事ができたんです。職場の空気も穏やかで、黙々と作業に打ち込めた。あの頃の経験が、後の自分の働き方に大きく影響しています。

――そして再び、家業を継ぐ決断を。

吉村:父が60歳に近づきプリント工場引退の気持ちを聞かされて他人に譲るのも違うと思ったし、今度はちゃんと話し合って、自分が事業を継承すると覚悟を決めました。

経営者としての現実、そして“こんなに作る意味”への問い

――家業を継いで、最初に感じた壁は何でしたか?

吉村:やっぱり経営って、現場とは全然違うんですよ。材料費の管理から営業、在庫の調整、取引先との交渉まで、すべてが初めてで。父は感覚でやってきた人だったので、引き継ぎもなかなか難しかった。

――その中で、どんな悩みが生まれてきたんでしょうか?

吉村:時代の変化が大きかったですね。事業継承後すぐに東日本大震災が起こりイベント開催がなくなり受注の落ち込み、その後の段階的な消費税増税で個人の衣料品購入も落ち込んでいきました。ファストファッションの影響で、安く販売するために大量生産し受注単価も下がる。一生懸命にプリントした商品が売れ残りシーズンが終わるとゴミとして扱われ衣料品廃棄する。そして焼却処分して自分達の住む地球を傷つけている現実。

「こんなに作る意味があるのか?」と考えるようになりました。

――大量生産の限界に気づいたということですね。

吉村:そうです。僕はモノを作るのが好きだけど、それが人の手に届かなかったら意味がないと思ったんです。「安ければ売れる」という考え方にも疑問を感じていました。

プリントは“心を動かす体験”だった──プリントワークショップへの転換

環境負荷の大きい大量生産・大量廃棄の構造にも疑問を感じていた。そんな中で、吉村さんは“プリントを体験してもらう”という新しい道を模索し始めます。個人客や親子連れが訪れ、自分の手でTシャツを刷る体験を楽しむ。プリント瞬間の手応え、完成した時の驚き——非日常の感覚が、参加者の顔に笑顔をもたらします。最初はイベントの一環として始めた事でしたが、お客さんの反応を通じて吉村さんは、下請け業から「体験の提供」へと軸足を移していきます。自らが感じた業界の矛盾や苦労を、肯定も否定もせず、次世代に「体験」という形で伝えていく姿勢は、まさに“刷り直された働き方”といえます。

――そんな中で、ワークショップ事業に出会われたんですね。

吉村:ある地域のイベントで、たまたま子ども向けにプリント体験をする機会があったんです。最初は「うまくいくかな」と不安もありましたが、子どもたちがTシャツを刷るたびに目を輝かせていて、その姿を見て「これだ!」と思いました。

――どうしてそこまで衝撃を受けたのでしょうか?

吉村:Tシャツをただ作って売るのではなくて、「作る過程そのもの」が感動なんだと気づいたからです。手を汚して、自分の手で形にすることの喜び。子どもたちだけじゃなく、大人も夢中になるんですよ。

――ワークショップはどのように広がっていったのですか?

吉村:最初は知り合いの紹介で学校や福祉施設に呼んでもらっていたんですが、SNSで少しずつ活動を紹介していくと、「うちでもやってほしい」と声がかかるようになりました。商業施設や企業とのコラボレーションも増えて、どんどん広がっていきました。

「キャリアとは、どう生きたいかを問うこと」──若い世代へ

――今、吉村さんが思う「仕事」の意味とは?

吉村:僕にとって仕事は、「誰かの心を動かすもの」ですね。Tシャツのプリントって、ただの作業に思われがちですが、自分の思いがカタチになり、人に伝わる瞬間があるんです。その感動を共有できるのが、最高の喜びです。

――若い人たちに伝えたいことはありますか?

吉村:「キャリア」って、肩書きや職種ではなく、「自分がどう生きたいか」を問うことだと思います。たとえ迷っても、立ち止まってもいい。でも、その都度ちゃんと「自分はどうしたいのか」と向き合ってほしいですね。

――最後に、今後の展望を教えてください。

吉村:もっと多くの人に、プリントの楽しさを知ってもらいたいです。学校教育の中に体験を組み込んだり、企業の研修として取り入れたり、いろんな可能性があると思っています。そして、いつか「伝えること」をテーマにした拠点を作りたい。Tシャツじゃなくてもいい。人が心を動かし合える場所を作るのが、次の夢です。

キャリアに正解はない。すべての経験が強みになる

吉村さんのキャリアは、決して平坦ではありませんでした。しかし、その道のりは、ものづくりへの情熱と社会への貢献という明確な目的へと導かれていきました。幼少期から青年期にかけて、吉村さんは大好きだったバスケットボールも、アトピーの悪化により遠ざかることを余儀なくされます。そして、高校卒業後、特別な目標もないまま、父親の知人が経営するTシャツプリント工場に就職。当初は明確な目的意識はなく、流れに身を任せるような形でした。

10代後半から20代前半にかけてアトピーの悪化により一時引きこもり生活を送ります。仕事も思うようにいかず、精神的に追い詰められた時期がありました。苦難の時期を過ごした吉村さんですが、40歳を前に転機を迎えます。異業種経営者の集まりに参加したことがきっかけでした。そこで、自身の経験を新たな視点で捉え直すきっかけを得ることになります。

「アトピーで引きこもってたときも、業界の厳しさに悩んだときも、今振り返れば、全部が“強み”になってると思えるんです。だから若い人にも、焦らんといてほしい。遠回りも、無駄じゃないって」

吉村さんの語るキャリア観は、シンプルで、あたたかい。特別な経歴やスキルがなくても、自分の「当たり前」を少しずつ見つめ直すことで、それはいつか誰かの学びになる。その体験の裏にある、吉村さんの静かな挑戦が、私たちに問いかけてきます。

—— あなたの仕事は、誰かにとっての“特別”になるかもしれない。

吉村さんは42歳の時、家業であった工場を閉じ、シルクスクリーンのワークショップ事業に専念する一大決心をします。「ものづくりの楽しさ」と「社会貢献」を両立させる新しいビジネスモデルを構築することになります。現在は – 障害のある方々の就労支援 – シルクスクリーン技術の伝承 – 「世界を変えるプリントワークショップ」の展開など、自身のつらかった経験をもとに新たな価値を生み出す旅路をスタートさせています。

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