本「働き方図鑑」シリーズでは、「あなたの当たり前は他人の学び」をテーマに、様々な職業の方、様々なキャリアを重ねてきた方の働き方に焦点をあて、隣の誰かがどのような仕事にどのような思いで取り組んでいるかを紹介いたします。今回のゲストは、ユニークな新薬を創出することで有名なある製薬企業で30年以上にわたり活動してきたMさんです。製薬業界は、科学技術の発展と規制の変化により、絶えず進化し続ける業界です。
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働き方図鑑:研究と営業をつなぐ架け橋(製薬会社の1事例)

Mさんは研究部門と営業部門の双方を経験し、まだ世の中にメディカルアフェアーズという部門が認知されるよりも前に、メディカルアフェアーズに相当する仕事を経験した珍しい経歴を持っています。同氏は自身のキャリアを振り返り、「目標を見つけて邁進して目標を達成しつつも、その都度、大きな挫折を味わい、今、キャリアコンサルタントとしての新たなキャリアを目指して動き出したところだ:と語ります。ここでは、長年にわたり、この業界の最前線で活躍してきたM氏に、これまでのキャリア、業界の課題、そして今後の展望についてお話を伺いました。
創薬研究からブランドマネージャーへ──多様なキャリアの歩み
M氏は農学部農芸化学科の大学院を卒業後、製薬会社に入社し、創薬研究の道を歩み始めました。「最初は生物系の研究者として、ターゲット探索や化合物のスクリーニングなどに携わっていました。初めての仕事は、複数の薬理作用を同時に有する化合物のスクリーニング評価で、3種類の薬理作用を4種類の動物で南十種類もの化合物を評価するため、朝6時から夜12時まで働き詰めだったそうです。しかし、この過酷な状態であっても大きな苦痛ではなかったと言います。その後、一つ領域のテーマリーダーとして取り組んだ仕事が成果を出したにもかかわらず、会社方針でその領域での開発を断念する事態に直面します<詳細は割愛>。M氏は日本における食の欧米化や動物評価モデルの試験結果から、必ず創薬につながるものだと思っていましたが、上層部の意向とは相いれず、研究部門からの移動が言い渡されます。
転機① 研究から営業現場へ
キャリア初期における大きな挫折の経験です。同氏は言います。「もう研究が出来ないという想いから会社を辞めるという思考も頭をかすめますが、次に移動した先の仕事も知らないまま辞めるより、次のステップで自分のできることを精一杯頑張るしかないと思い、異動を受け入れました」と。
同氏は新たに臨床現場を舞台に間接的に研究をサポートする方向性にかじを切ります。異動先では、全国の医師を訪問し、自社製品の専門的な説明をするほか、医師の臨床研究支援や営業マンの教育研修を担当するようになります。さらに、その経験を活かし、製品企画部門へ進み、ブランドマネージャーとして腎泌尿器系および神経系の製品を担当。社内のDX(デジタルトランスフォーメーション)部門にも関わり、2度の社長賞を受賞するなど、その後、多彩なキャリアを積み重ねることになります。
以下、同氏が経験した部門の特徴と業界の流れを追って解説していただきましたので、要点をまとめてみます。
創薬研究の現場──長い開発期間と厳しいハードル
「新薬が市場に出るまでには、10年以上の歳月と数百億円の費用がかかります」と説明します。ターゲット探索から非臨床試験、臨床試験、承認申請までのプロセスは非常に複雑で、途中で多くの候補が脱落していく世界です。
製薬会社における創薬研究の仕事は、新しい医薬品を開発するための基礎研究から臨床試験前の開発プロセスまでを担う重要な役割です。主な業務は以下のとおりです。
- ターゲット探索:疾患の原因となる分子や遺伝子を特定し、薬の標的を決める。
- 化合物のスクリーニング:膨大な化合物の中から、ターゲットに効果がある候補物質を見つける。
- 最適化:候補化合物の構造を調整し、安全性や効果を高める。
- 非臨床試験:動物実験などを通じて、安全性や薬効を評価する。
これらのプロセスを経て、効果が期待できる化合物が臨床試験(治験)へと進みます。創薬研究は、化学・生物学・AIなど多様な分野の知識を活かし、新しい治療法を生み出す仕事です。
同氏が経験したのは、上述の主に2.3.4.でした。こうした薬のもとになる化合物の研究の経験は、新しい薬が出たときにその薬の特徴を説明する際の理解を助けます。こうした薬の専門知識を持った人材が集まり、薬になった製品のエビデンスを構築するのがメディカルアフェアーズと呼ばれる部門です。氏が担当した当初は、メディカルアフェアーズという言葉は世の中に存在しませんでしたが、同氏が行った活動は、この先駆けに当たるものでした。
メディカルアフェアーズの重要性──エビデンスを基にした医療貢献
「営業現場と研究の架け橋として、メディカルアフェアーズ(MA)部門は非常に重要です」とM氏は言います。従来、製薬業界では営業担当者が医療従事者に情報を提供するのが一般的でしたが、ディオバン事件を契機に、エビデンスに基づいた情報提供の重要性が高まりました。ディオバン事件を契機に、製薬会社が臨床研究やデータ解析に関与する際のガバナンスの重要性が強調されました。特に、営業部門と研究部門の独立性が問題視され、以下のような変化が起こりました。
1. 企業の科学部門(メディカルアフェアーズ)の明確化
- 事件以前は、営業(MR)と研究(メディカル部門)の線引きが曖昧な企業が多かった。
- 事件後、「営業が直接、研究や臨床試験に影響を及ぼすことは不適切」との認識が強まり、メディカルアフェアーズが独立した部門として再編・強化。
- メディカルアフェアーズ部門は、営業(マーケティング)とは異なり、科学的・医療的中立性を持つべきとされた。
2. メディカルサイエンスリエゾン(MSL)の台頭
- 企業が医療従事者と科学的議論を交わす際に、営業ではなくMSL(Medical Science Liaison)が対応する仕組みへシフト。
- MSLは営業ノルマを持たず、医学的エビデンスをもとに医師とのディスカッションを行う役割を担う。
3. 医師主導研究(IIS)のガイドライン強化
企業提供のデータ解析支援も厳しく制限され、外部の独立機関が解析を行うケースが増加。**ディオバン事件(バルサルタン臨床研究不正問題)**は、ノバルティスファーマが販売していた降圧剤「ディオバン(バルサルタン)」の臨床研究において、データ改ざんや不正な統計解析が行われたとされる製薬業界最大級の不祥事です。この事件は、メディカルアフェアーズ(MA)部門の役割や独立性が強く意識される契機となりました。
製薬会社の関与が過度にならないよう、IISの透明性確保が求められるように。
ディオバン事件がもたらした変革
| 項目 | 事件前 | 事件後 |
|---|---|---|
| 製薬会社の臨床研究関与 | 営業と研究の境界が曖昧 | メディカルアフェアーズが独立 |
| データ解析 | 製薬企業の社員が関与 | 第三者機関の関与を強化 |
| 研究の透明性 | 企業が論文作成を支援 | 学会ガイドラインを厳格化 |
| 医師との情報交換 | 営業(MR)が主導 | MSLが対応 |
メディカルアフェアーズの主な業務内容
メディカルアフェアーズ(Medical Affairs, MA)**は、製薬会社において医学・科学的な観点から医薬品の価値を最大化し、社内外のステークホルダーと連携する部門です。営業(MR)やマーケティングとは異なり、科学的・医療的エビデンスに基づいた情報提供を担い、医師や医療従事者と直接コミュニケーションを取る重要な役割を果たします。
- 医療従事者との科学的交流(KEE/KOLマネジメント)
- 医療の最前線で活躍するキーオピニオンリーダー(KEE/KOL:Key External Experts)と関係構築。
- 疾患領域や治療の最新動向を把握し、科学的な議論を通じて市場ニーズを探る。
- メディカル戦略の立案
- 自社製品の特性や疾患領域に基づき、エビデンスを活用した戦略を策定。
- 製品の適正使用推進や新たな治療指針に貢献する活動を展開。
- メディカルサイエンスリエゾン(MSL)の活動
- MSL(Medical Science Liaison)は医療機関を訪問し、最新の医学・薬学情報を提供。
- 医師からの臨床ニーズを収集し、社内の研究開発やマーケティングへフィードバック。
- 臨床研究・リアルワールドデータ(RWD)活用
- 医師主導研究(IIS:Investigator-Initiated Study)や観察研究をサポート。
- RWDやリアルワールドエビデンス(RWE)を活用し、新たな治療価値を見出す。
- 医学教育・社内研修
- 社内のMRやマーケティングチームに向けた医学教育を実施。
- 学会・セミナーの企画や参加を通じて、医療従事者向けの情報発信を行う。
メディカルアフェアーズの特徴
- 営業・マーケティングとは一線を画し、科学的中立性を保つ。
- 医学・薬学の専門知識が求められ、医師・研究者との高度な議論が必要。
- リアルワールドデータや医師主導研究など、臨床現場のエビデンス創出に貢献。
メディカルアフェアーズは、単なる情報提供ではなく、医薬品の適正使用の推進と新たな医療価値の創出を支える、製薬業界において重要な職種です。
転機② ブランドマネジャーとしての仕事
ブランドマネージャーとしての挑戦──社内外の調整力が鍵
「ブランドマネージャーは、ただ製品を売るのではなく、製品の価値を最大限に引き出し、市場に適切に届けることが使命です」とM氏は言います。製薬業界特有の規制の中で、医師や医療機関に向けたマーケティング戦略を策定し、MR(医薬情報担当者)の活動をサポートする資材を開発するなど、幅広い業務を担当しました。以下、ブランドマネジャーの仕事について概説します。
製薬会社のブランドマネジャー(BM)の仕事
製薬会社におけるブランドマネジャー(BM)は、担当する医薬品のマーケティング戦略を統括し、売上最大化を目指す役割を担います。一般消費財(FMCG)などのBMとは異なり、厳格な規制のもと、医療従事者を対象に科学的根拠に基づいた戦略を展開する点が特徴です。
1. ブランド戦略の立案と実行
✔ 市場分析・競合分析
- 処方データやリアルワールドデータ(RWD)を活用し、市場動向や競合の戦略を分析。
- 疾患領域の最新情報を把握し、製品の強みを活かせるポジショニングを決定。
✔ マーケティング戦略の策定
- ターゲット医師(HCP:Healthcare Professionals)を明確化し、適正使用を推進する戦略を構築。
- 学会発表、KOL(キーオピニオンリーダー)との連携、デジタル施策などを組み合わせたプロモーション活動を展開。
✔ 売上・市場シェア最大化のための施策実行
- MR(医薬情報担当者)の活動を支援し、適切なメッセージングを設計。
- 市場の変化に応じて戦略を柔軟に調整し、営業活動を強化。
2. 営業(MR)向けの支援と資材作成
✔ MRの活動戦略の策定
- MRの訪問活動を効率化するためのターゲティング戦略を策定。
- 医師の関心に基づいたトークスクリプトやFAQを準備し、MRのスキル向上をサポート。
✔ プロモーション資材の開発
- 製品パンフレット、スライド、デジタルコンテンツ(動画・e-Detailing)などを作成。
- 厳格な薬機法やプロモーションコードに準拠しながら、科学的エビデンスをわかりやすく伝えることが求められる。
✔ MRトレーニングの実施
- 製品の最新情報をMRに提供し、効果的なコミュニケーションを促進。
- 疾患領域のトレンドや新しいエビデンスを共有し、MRの知識を向上。
3. 社内外のステークホルダーとの調整
✔ 社内調整(クロスファンクショナルチームの連携)
- 営業(MR)、メディカルアフェアーズ(MA)、薬事、開発、製造、マーケットアクセスと連携し、ブランド戦略を推進。
- メディカルアフェアーズと協働し、エビデンス創出や医師主導研究(IIS)を支援。
- 薬事部門と連携し、広告表現やプロモーション資材が規制を遵守しているか確認。
✔ 医療従事者(HCP)やKOLとのコミュニケーション
- KOLと協働し、最新のエビデンスを活用した疾患啓発や治療方針の議論を展開。
- 学会・カンファレンスでの情報収集と、自社ブランドの認知向上を図る。
4. 市場データの活用とパフォーマンス評価
✔ 市場データの分析
- **IMSデータ、IQVIAデータ、処方データ、RWD(リアルワールドデータ)**を活用し、市場シェアや競合状況を把握。
- KOLやMRからのフィードバックを収集し、戦略に反映。
✔ KPI(重要業績指標)の管理
- 売上、処方数、シェア拡大、MRの活動量・効果などのKPIを設定し、達成度を測定。
- 必要に応じて戦略を修正し、マーケティング施策の最適化を図る。
💡 製薬業界のブランドマネジャーの特徴(他業界との違い)
| 項目 | 製薬業界のBM | 一般消費財(FMCG)のBM |
|---|---|---|
| 顧客ターゲット | 医師・医療従事者(HCP) | 一般消費者 |
| プロモーションの規制 | 薬機法・プロモーションコードに厳しく制限 | 比較的自由に広告可能 |
| マーケティング手法 | 科学的エビデンスに基づく情報提供 | 感情・ブランドイメージ訴求が中心 |
| プロモーション手段 | MR訪問、学会、MSLとの連携 | 広告、SNS、販促キャンペーン |
| 主要なKPI | 処方数、市場シェア、医師の認知度 | 売上、ブランド認知、購入頻度 |
製薬企業のブランドマネジャーは、規制が厳しい市場環境の中で、科学的エビデンスをもとにマーケティング戦略を構築し、MRを通じて医師に情報提供を行う役割を担います。一般消費財のBMとは異なり、KOLとの連携、メディカルアフェアーズとの協働、薬事規制の遵守が求められる点が大きな特徴です。
ブランドマネジャーとしての成功と失敗
M氏は複数の領域の製品でブランドマネジャーを務めましたが、中でも製品の新発売から特許切れ近くまでを一貫して多投した製品への思い入れは強いものがあると言います。ブランドマネジャーの多くは営業出身者もしくは開発の担当者が行いますが、研究出身のブランドマネジャーは少数派です。
同氏は研究から臨床サポート・資材作成等の過去のキャリアを通じてエビデンスを作るという事に強く関心があり、その方向性で実績を積み重ねました。しかし、またもや会社方針(上長意向)により、頑張って開拓してきた領域の活動への注力が取りやめられるという経験をします。同氏は、自身の活動を振り返り反省点を口にします。「10年後の創薬につながる仕事をするという気持ちで取り組んできた活動でエビデンスは多く創出したが、社内のステークスホルダーの気持ちをつかむことが出来ていなかった」と。
上述したように、ブランドマネジャーの仕事は1.ブランド戦略の立案と実行、2. 営業(MR)向けの支援と資材作成、3. 社内外のステークホルダーとの調整、4. 市場データの活用とパフォーマンス評価 など多岐にわたります。これら4つの仕事のうち、どれか一つ欠けても製品の価値を最大化することはできません。同氏は、「社外にばかり目が向き、社内(上司・上層部)への目配りが不足していた」と語ります。
転機③ 全く異分野の部署へ移動
同氏は、力を入れていた自身の専門領域に対する会社の撤退を契機に、全く違う領域への配属転換を言い渡されます。10年後の創薬のために踏ん張って孤軍奮闘していた彼は、全く新しい職種について経験がないにも関わらず、専門職としての能力を求められる現実に疑問を感じます。そして、失意の中で「10年に1回の二度の挫折を経て、自分のキャリアって何なのだろうか?」と考えます。ちょうどその時に、国からキャリアコンサルタントの資格勉強への補助金が目に飛び込んできました。「次の10年は第三者の決断で自分の未来が変えられることの無いよう、自分で未来を作りたいと思った」と語ります。
キャリアコンサルタントとしての新たな挑戦
M氏は現在、キャリアコンサルタントとしての道を歩み始めています。「私は自分のキャリアを振り返る中で、未来を描くことの大切さを痛感しました。そこで今、新たなコンセプトで個人がなりたい自分の姿を可視化し、それに向かって具体的な行動を起こせるようにサポートするサービスを提供しようと計画中です」
製薬業界の今後と若手へのメッセージ
最後に、M氏は若手へのメッセージを語りました。「製薬業界は今後も変化を続けるでしょう。DXの進展、個別化医療の発展、規制の変化など、多くの課題がある中で、自分の強みを活かせる分野を見つけていくことが大切です」M氏のこれまでの歩みは、製薬業界のダイナミックな変化を象徴するものです。
「私の経験と知見が、これからの世代の道しるべとなることを期待しています。」
