「働き方図鑑」シリーズでは、「あなたの当たり前は他人の学び」をテーマに、様々な職業の方、様々なキャリアを重ねてきた方の働き方に焦点をあて、隣の誰かがどのような仕事にどのような思いで取り組んでいるかを紹介いたします。今回のゲストは、「ブレインアナリスト」と「フランス式アロマテラピスト」。この二つの肩書を持つ田辺さんです。一見すると全く異なる分野に見えるこれらの専門性を、彼女はどのようにして一つの仕事として結びつけていったのでしょうか。
キャリアに悩み、自分の道を探している若いあなたにとって、きっと多くのヒントと勇気を与えてくれるはずです。
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1. 受動的だった若い頃:とにかく「家を出たい」という原動力
多くの人のキャリアが「何かになりたい」という夢から始まるのに対し、田辺さんの原動力は非常に切実なものでした。それは、両親が不和な家庭環境から「とにかく家を出たい」という強い思いでした。彼女のキャリア初期は、一見すると周囲に流される「受動的なフェーズ」に見えます。しかしその内面には、困難な状況を生き抜くための、したたかな生存戦略と確固たる目的が隠されていました。
――― 子供時代のことについて教えていただけますか
親の勧めで進学した国立小学校では、車酔いに苦しみながらバスを2台乗り継ぐ長い通学路と、勉強中心の校風に馴染めず、疎外感を抱えていました。両親はよくケンカをしており、この「自分の居場所ではない」という感覚が、家を出たいという思いを一層強くしました。高校卒業後、「ツアコンダクターになりたい」という建前で親を説得し、東京の専門学校へ進学しました。何かをしたいではなく、とにかく家を出たい一心での決断でした。
これは彼女が初めて、自らの強い意志で環境を変えるために起こした行動でした。「とにかく家を出たい」という一心で、高校卒業後に東京の専門学校への進学を決意した田辺さん。それは、親の敷いたレールの上を歩いてきた彼女にとって、人生で最初の大きな自己主張でした。この決断は、単に状況から逃れるのではなく、自ら目的地を能動的に選ぶという、彼女のキャリアを通じて繰り返されるテーマの幕開けとなったのです。
――― 専門学校を卒業後、初めて就職された会社はどのような場所でしたか?そこで何を経験されましたか?
田辺さんが社会に出たのは「就職氷河期」の真っ只中。掴んだ内定は社会の理不尽さを突きつけ、衝撃的なものでした。学校の求人で見つけた旅行会社の実態は、新卒を狙った詐欺的な営業会社だったのです。猛烈に働く父の姿を見ていたので、社会的にはブラック企業といわれるような過酷な仕事内容にも当たり前のこととして取り組んでいました。売り上げがよかったので新人賞をとりそうになりましたが、友達や当時付き合っていた彼氏から、「それって詐欺だよ」といわれ、高額なローンを組ませる業務内容に気づき、賞を取ってしまってはやめにくくなると考えて、退職しました。
わずか3ヶ月で退職した彼女は、次に「女性は事務をやるものだ」という実家の会社で刷り込まれた価値観に基づき、経理の仕事に就きます。これは、傷ついた彼女が、社会の「当たり前」という安全地帯に一旦退避する、防衛的な選択だったと言えるでしょう。この時期の彼女は、自らの意思を封じ、環境に適応することで道を切り拓いていました。しかし、心の奥底で燻っていた違和感は、やがて彼女を自己発見へと導く最初の大きな転機を引き寄せます。
――― 実家へ戻り、また二度目の東京で事務職に就かれた経緯はどういったものなのでしょうか
二度目に東京へ行くことになった経緯ですね。それは、私の人生における大きな別れと、家族からの後押しがきっかけでした。
まず、26歳の時に一度、父の会社を手伝うために地元の群馬に戻りました。しかし、入社して半年ほど経った頃に父の末期がんが見つかり、それから1年半あまり、自宅介護を続ける生活を送ることになったんです。
そして父が他界した後、一緒に会社にいた妹が「自分たちが会社を守るから、お姉ちゃんはまた東京に戻りなよ」と言って背中を押してくれました。それが、私が二度目の東京行きを決めた直接の理由です。
当時はまだ、「女性は事務職をやるものだ」という固定観念が自分の中に強くありました。実家の隣が会社という環境で、幼い頃から「女性は事務、男性は営業」という姿を見て育った影響ですね。そのため、再び東京に戻った際も、当たり前のようにまた事務職の仕事に就くことにしました。
例えるなら、家族という大きな船をみんなで漕いでいた時期が終わり、妹が「これからは自分たちで漕げるから、お姉ちゃんは自分の行きたい目的地へもう一度漕ぎ出しなよ」と、新しい航海へ送り出してくれたような、そんな再出発でした。
2. 30歳目前の転機:「手に職をつけたい」という目覚め
経理として働きながらも、漠然とした将来への不安を抱えていた田辺さん。30歳を目前にしたある時、いくつかの出来事が重なり、彼女のキャリアを大きく変えるきっかけとなりました。
――― 二度目の東京で事務職に就かれた後、ネイリストへという大きなキャリアチェンジを決断されたきっかけは何だったのでしょうか?
二度目の東京生活でも、最初は「女性は事務をやるものだ」という育ってきた環境からの思い込みで、当たり前のように事務職に就いていました。ですが、心のどこかで「手に職をつけたい」という気持ちが芽生えていたんです。そんな時、大きな転換点となる出来事がいくつか重なりました。
一番のきっかけは、自分でも「くだらない」と思ってしまうようなことなのですが、横浜の中華街での占いでした。遊びに来た友人に付き添って三軒ほどハシゴしたのですが、どの占い師さんからも立て続けに「あなたは事務職に向いていない」「美容業界などの華やかな世界や、人の前に立つ仕事の方が向いている」と言われたんです。翌日、都内の有名な占い師さんのところへも行ったのですが、そこでも全く同じように「色を使う仕事がいい」と言われました。
ちょうどその頃、雑誌で「女は30歳から」といった、ヘアメイクやネイリストなどの美容系の専門職を特集した記事を目にしたんです。私自身、それまで美容には全く興味がなかったのですが、「職人」としての面白さに惹かれました。
また、当時は結婚を考えていた人と別れたばかりのタイミングでもありました。30歳という年齢を迎え、「これからは一人で生きていくために、人に頼らず自立できるスキルを身につけなきゃいけない」と強く感じていたんです。会社が倒産したり解雇されたりすれば終わってしまう事務職よりも、自分の腕一本でやっていける技術が欲しかったんですね。
――― 『手に職をつけたい』と考えたとき、なぜネイルを選ばれたのですか?
ヘアメイクではなくネイルを選んだのは、「お風呂に入ったら取れてしまうものより、数週間持ちが続くものの方がいいな」という単純な理由からでしたが、思い立ってからはすぐに学校を選んで入学しました。今振り返れば、あの時の「直感」と「自立したい」という切実な願い、私のキャリアを大きく変える原動力になったのだと思います。
例えるなら、それまで「こうあるべきだ」という地図だけを頼りに歩いていた私が、占い師さんの言葉という予期せぬ風に背中を押され、自分の腕という羅針盤を信じて新しい海へ漕ぎ出したような、そんな決断の瞬間でした。
「人に頼らないで自分で自立できるようなスキルを身につけなきゃ」
これらの点が線で結ばれた瞬間、彼女は直感を信じて行動します。昼間は派遣で事務の仕事を続けながら、夜間のネイルスクールに1年間通い、ネイリストへの道を歩み始めたのです。これは、彼女が初めて「自分自身の適性」と向き合い、自らの手で未来を掴もうとした、能動的なキャリアの幕開けでした。手に職をつけ、自立への道を歩み始めた田辺さんでしたが、結婚と出産が、彼女をさらに新たな道へと導くことになります。
3. 母として歩んだ道:予期せぬ困難から生まれた新たな可能性
ネイリストとしてスキルを身につけた田辺さんは結婚。しかし、東京での生活に馴染めない夫が「香川に帰りたい」と毎日こぼす日々に、彼女は決断します。それは夫に従うという受動的なものではなく、家族の生活の質を改善するための、極めて現実的な問題解決でした。知り合いのいない四国の地へ移住すると、当時流行していたSNS「mixi」を駆使してママ友のコミュニティを探し、新たな人間関係を築いていく姿に、彼女の卓越した適応能力が伺えます。
――― お子様が生まれた後、特に大きな試練があったとお聞きしました。どのような状況で、どう乗り越えようとされたのでしょうか?。
はい、その時期は本当に私の人生の中でも大きな転機であり、最大の試練でした。
まず、次男を妊娠している時に、お腹の中の赤ちゃんにダウン症という障がいがあることが分かったんです。合併症が多くて重症化しやすいといった知識もありましたし、実際に妊娠初期には「心拍停止するかもしれない」と言われるほど不安定な状態でした。さらに、次男が生まれて1年経たない頃、今度は当時3歳だった長男が腎臓病であることが分かり、そのまま緊急入院することになったんです。お医者様からは「覚悟してください」と言われるほど深刻な状況でした。
次男の出産を決意したことを綴っていた自身の経験を綴っていたアメブロには、「産むなんてやめろ」といった心無い批判が殺到しました。二人の息子を前に、彼女の中に「とにかく子どもたちの免疫を上げなければ」という、母親としての切実で強力な動機が生まれます。この一心不乱の思いが、彼女を「フランス式アロマテラピー」との出会いに導きました。
――― 「フランス式アロマテラピー」との出会いについて教えてください。
フランス式アロマテラピーとの出会いは、今から10年ほど前のことです。きっかけは、子供たちの免疫を上げたいと切実に願ったことでした。
次男にダウン症という障がいがあり風邪が重症化しやすかったこと、さらに同時期に長男も腎臓病であることが分かり、二人とも免疫力を高めることが不可欠な状況だったんです。病院任せにするのではなく、「家で母である私にできることはないか」としてであったのがフランス式のアロマでした。
例えるなら、荒波の中で子供たちを守るために必死に手を伸ばし、ようやく掴み取った「希望の灯火」のような出会いでした。
アロマテラピーの種類と特徴
| 種類 | 目的 | 特徴 |
| イギリス式アロマ | リラクゼーション、癒やし | 日本で一般的に普及しているエステなどで使われる形式。 |
| フランス式アロマ | 治療、不調の改善 | 海外では治療目的で使われるメディカルなアプローチ。田辺さんが求めていたのはこちらでした。 |
さらに、長男の入院に付き添う中で、病院でも収入を得られる方法として始めた「アクセサリー作り」。これもまた、当時は生活のために必死で始めたことでしたが、後のキャリアに繋がる重要な伏線となっていきました。子どもを想う一心で始めたアロマと、生活のために始めたアクセサリー作り。一見バラバラに見えたこれらの経験が、やがて一つの線として繋がっていきます。
4. 点と点が繋がる瞬間:現在の仕事との出会い
キャリア論で言う「計画された偶発性理論」を彷彿とさせるように、田辺さんの人生においても、意図せず始めた一つの行動が、全く予期せぬ形で中核となるキャリアへの扉を開くことになります。そのきっかけは、生活のために始めたアクセサリー作りでした。
――― アクセサリー講師の資格を取得された際、その協会の会長(社長)と出会われたそうですね。その時のエピソードや、その出会いがどのように今の活動に繋がっているのか教えていただけますか?
長男が腎臓病で入院し、付き添いが必要になったとき、「入院中でもできる仕事はないか」アクセサリーの資格を取ったところの社長が、今の脳科学(ブレインアナリスト協会)の会長なんです。
当時はただの「資格を発行している会社の社長」という関わりでしたが、私はその方に「このアクセサリーの仕事を、障がいがある人たちの仕事にしたい」という話をしました。その想いに共感してくださり、社長と一緒にアクセサリーブランドを立ち上げることになったんです。
その後、彼が新しく「ブレインアナリスト協会」を作るという時に、最初はお付き合いのような形で資格を取ったのが、今の活動の始まりでした。もしあの時、息子たちのために「家や病院でできる仕事」を模索してアクセサリーに出会っていなければ、今のブレインアナリストとしての私は存在していなかったと思います,。
例えるなら、一本の細い「アクセサリー」という糸を必死に手繰り寄せていたら、それがいつの間にか「脳科学」という大きな道に繋がり、多くの人を導くための地図を手に入れていた、そんな不思議で大切なご縁でした。
• ブレインアナリストとしての活動 脳の傾向性を科学的に分析し、クライアントが抱えるストレス状態や思考の癖を数値で「可視化」します。これにより、漠然とした心の悩みに客観的な視点を提供できるようになりました。
• フランス式アロマテラピーとの融合 ブレインアナリストの診断で明らかになったストレスに対し、フランス式アロマテラピーを用いて具体的なセルフケア方法を「処方」します。診断で終わるのではなく、実践的な解決策まで提示できる独自のサービスが生まれました。
「手に職をつけたい」と始めたネイル、「子供の免疫力を上げたい」と学んだアロマ、「入院中でも収入が欲しい」と始めたアクセサリー、そして「付き合いで」取得した脳科学の資格。これらバラバラだった点と点が、「自分を知り、科学的根拠に基づいたセルフケアで心身を整える」という、一貫したテーマのもとに収斂されていったのです。数々の経験を経て、田辺さんは今、明確な使命感を持って活動しています。
5. 現在の使命:「お母さんが元気なら、世の中は元気になる」
――― これまでの経験を通じて、読者の皆さんへ伝えたいことを教えてください
私のこれまでの経験を通じて、読者の皆さんに一番お伝えしたいメッセージは、「お母さんが元気で幸せでないと、何も始まらない」ということです。
私自身、かつては母から「あなた人見知りだから」というレッテルを貼られ、その言葉に縛られて本来の自分を出せない“暗黒時代”を過ごしてきました。 ですが、人生の様々な試練を経て本来の自分を取り戻した時、人は初めて自分の持っている能力を最大限に発揮できるのだと気づいたんです。
お母さんが自分らしく、ニコニコと元気でいれば、それを見た子供たちは「早くあんな大人になりたい」と未来に希望を持ちます。 また、旦那さんも家で奥さんが笑っていれば、外でのパフォーマンスが上がります。 つまり、お母さんが元気になることは、家族、ひいては世の中全体を元気にすることに繋がっているんです。
そのために大切なのが「学ぶこと」です。 周りの情報に振り回されるのではなく、脳科学などを通じて「自分はどういう人間なのか」という客観的な軸を持つことで、子育てや仕事の選び方も、心の持ちようも全く変わってきます。,
私は本気で、「一家に一台(一人)、ブレインアナリスト」が必要だと思っています。 お母さんたちが学び、自分を知ることで、もっと生きやすく、もっと輝ける世の中を一緒に作っていけたら嬉しいです。
例えるなら、お母さんは家庭というチームを照らす太陽のような存在です。太陽自らがエネルギーを満たし、明るく輝き続けることで、周りの家族という花々も自然と上を向き、健やかに育っていくことができるのです。
最後に
田辺さんの現在の活動の核心には、彼女自身の壮絶な経験から生まれた、揺るぎない哲学があります。
「お母さんが幸せでないと始まらない」
「お母さんが元気だと多分世の中元気になるんじゃないかな」
彼女が特に「母親」の支援に情熱を注ぐのはなぜか。それは、彼女自身が最も頼りたかった母親から、最も深く傷つけられた経験があるからです。次男の出産期限が迫る中、最初は応援してくれていた実の母親から、「長男がかわいそうだから」という理由で、暗に中絶を望む言葉をかけられました。この時、彼女は心の中で母親との絶縁を決意したと語ります。自分自身の軸を持たない母親の言葉が、いかに深く娘を傷つけるか。この原体験こそが、彼女の使命の根源なのです。
田辺さんのキャリアは、環境に流されるだけの受動的な生き方から、数々の予期せぬ困難を乗り越え、自らの経験すべてを価値に変えて他者を導く、能動的な生き方への変遷の物語です。
彼女の人生は、順風満帆な計画通りに進むことだけが成功ではないことを教えてくれます。むしろ、予期せぬ出来事、病気や別れといった困難こそが、新たなキャリアの扉を開く最もパワフルなきっかけになり得ることを示す好例と言えるでしょう。
最後に、キャリアに悩む若い読者に向けて、彼女の言葉から重要なメッセージを抜粋しました。
• まず自分を知ること 何か行動を起こす前に、自分がどういう人間かを知る方が、はるかに効率的で結果も出やすい。
• 自分を知ることでストレスが減る 自分の思考や行動の癖が分かれば、ストレスを最小限に抑えながら物事を前に進めることができる。
• 「好きを仕事に」が実現しやすくなる 自分を客観的に理解することこそが、本当にやりたいこと、自分に合った仕事を見つける一番の近道になる。
