働き方図鑑 どん底からの起業家精神 ― 東條孝泰【JOE】が語る夢を叶える道のり

「働き方図鑑」シリーズでは、「あなたの当たり前は他人の学び」をテーマに、様々な職業の方、様々なキャリアを重ねてきた方の働き方に焦点をあて、隣の誰かがどのような仕事にどのような思いで取り組んでいるかを紹介いたします。今回のゲストは、数々の事業を重ねた結果、人の夢をかなえる仕事にたどりついた東條さんです。

起業家としての第一歩:成功と挫折 ― 若き日の起業

東條さんは岡山出身の50歳<2025年現在>。父親が国鉄で働いており、小学校は岡山、大阪、埼玉と転々としました。中学校から短大までは岡山で過ごし、短大では情報電子科学を学びました。21歳で友人と起業し、保険代理店や自動車整備機械のリサイクル事業を展開し、最大で年商5億円、従業員40-50名規模まで成長させた経験を持ちますが、32歳で会社が倒産した後、様々な挑戦と失敗を繰り返します。現在(インタビュー当時:2025年8月)は家族の希望に応えて安定した仕事を選択しています。そして、その後、2026年初頭にはAPCFを株式会社化させるところまで成長し、今後もっと多くの方の夢を叶えられるプラットフォームを作るところまで発展してきました。

――― 最初に起業されたきっかけについて教えてください。

「短大の同級生と一緒に会社をやろうという話になりました。まずは一般企業に就職して常識を学ぼうと考え、21歳で就職し、半年後に起業しました。」

東條さんの起業の動機は「自由に挑戦したい」という強い気持ちからでしたが、同時に計画性も忘れていません。このことが彼の後の成長に影響を与えたと思われます。短期大の友人4人とともに事業を始めますが、最初から事業を起こすのではなく4人の友人がそれぞれ別の会社に入り、社会常識を学びます。

東條さんが最初の仕事として選んだのは、造船関連の大型クレーン輸送でした。台湾やフィリピンにも足を運びました。この経験は、世界を視野に入れる感覚を養ったと語ります。そして、本当に会社を辞めて仲間と事業を開始することになりました。

―――  起業当初の事業内容は?
「最初は外資系の保険代理店を始めましたが、うまくいかず、自動車整備機械のリサイクル事業に切り替えました。これが当たり、全国五拠点まで拡大し、年商5億円、従業員50人規模に成長しました。」

ガソリンスタンのピットにあるような機械だったりとか、整備工場や板金工場にある機械、タイヤ交換する機械や車を持ち上げるリフトなどを全国から集めてきて、オーバーホールしてリサイクル・リユースするって仕事を10年間続けます。

――― 会社が倒産したときの心境は?
「潰れると思っていたので、特別な気持ちはありませんでした。もっとできたかなという思いと、自分の考えが甘かったなという思いがありました。準備期間にきちんと企業の勉強をせず、経営者としての責任を持って仕事ができなかったという反省があります。」

順風満帆に見えた事業も、経営の基礎やリスク管理の不足が影響し、32歳で倒産。だが、東條さんはこの経験を「学び」として受け止め、次への糧にします。

――― 倒産後の選択については?
「妻から安定した収入のある会社に就職してほしいと言われ、ヤマト運輸に入りました。しんどかったですが、いろんなお客さんと触れ合う仕事でもあったので楽しかったです。やりがいもありました。上司からのパワハラのようなこともありましたが、今思い返せば悪い印象はあまりありません。」

倒産経験を経て、東條さんは家族との関係を重視し、安定と成長のバランスを学ぶこととなります。一方で、地元岡山の倉敷の児島、老人が多い町に長男であることからいずれは戻らなきゃいけないという思いもあり、働き続ける中でできるほかのことはないかと考え、マッサージのバイトや車屋さん、電気工事、訪問介護などもしていくこととなります。

――― 電気工事や訪問介護の仕事は順調でしたか?
「はい、月200万円以上の売上がありましたが、自分一人でやっていてもつまらないと感じ、組織としての仕事に挑戦したいと思いました。」

――― 個人事業主と組織を持つ経営者の違いは?
「組織を持つと、多くの社員を支える責任があります。小学校の頃からリーダーになりたいと思っていたので、それを克服したいという思いもありました。」

ある時、飲み屋で出会った男と意気投合して夢を語り合う中、東條さんはあるネットワークビジネスに出会い、そこで再び独立起業したいとヤマト運輸の正社員の仕事を辞めることになります。

挑戦の連続 ― 40代のネットワークビジネス

――― 40代でネットワークビジネスに取り組んだ理由は?
「将来を考え、独立したい思いが再燃したからです。ヤマト運輸での仕事と並行し、ネットワークビジネスに挑戦しました。」

――― 結果はどうでしたか?
「成功もありましたが、借金も抱えました。苦しい時期でしたが、妻の支えには本当に感謝しています。」

苦しい経験を振り返りつつ、東條さんは「今は自己責任の意識を持ち、何を選ぶかは自分次第だ」と語ります。ネットワークビジネスそのものは何も悪くない。ただ、自分が中途半端だったと当時を振り返ります。

――― 当時の自分にかける言葉は?
「逃げずに、やるべきことをすべてやれ、と言いたいですね。人のせいにせず、マインドを変えて仕事に向き合うべきでした。」


APCF実行委員会 ― 人の夢を叶える仕事

2018年頃、ヤマト運輸をやりながら副業でネットワークビジネスをやっていた時に交流会である人物に出会います。それがのちに一緒に仕事を始める合田さんです。東條さんは、2019年に選択肢の心理学を学び、「事実は1つ、解釈が無数」ということを知りました。それを広めるために講演会を始めようとした時にコロナになり、時期を同じくしてプロデューサーの合田さんから連絡がありました。それが今の仕事につながっています。

――― 現在の仕事内容は?
「人の夢を応援し、叶えられる場所を作ることです。誰かを成功させることが、自分の成功につながると信じています。」

――― APCF実行委員会とはどのような組織ですか?
「法人登記はしていませんが、個人事業主や会社が集まり、イベント制作や事業支援を行う団体です。」

――― 収益はどのように得ているのですか?
「イベントの集客や物販、スポンサー協賛、代理店事業の成功報酬など、複数のキャッシュポイントがあります。」
東條さんは、事業の多角化とネットワークを活かして、夢を叶える支援の仕組みを作り上げました。


エンタメの力 ― パリコレと「神聖フレラモ」

――― エンタメ事業の特徴は?
「エンタメを通じて、人の基礎力を学び、他者の夢を応援することを重視しています。金融や企業支援は簡単に稼げてしまうため、後回しにしています。」

――― パリコレとの関わりは?
「アイドルグループ『神聖フレラモ』がパリコレに出演しています。ブランド交渉や現場運営も担当しています。」

――― どのような価値を提供しているのですか?
「単にイベントを作るだけでなく、誰もが挑戦できる環境を提供し、夢を現実にするサポートをしています。」
東條さんは、エンタメを通じて人々の可能性を引き出すことに使命感を持って取り組んでいる。


人生の伴走者 ― 夢を叶える原動力

――― 奥様との出会いは?
「17歳の時、クリスマスライブで出会いました。私はトランペットを演奏しており、妻はボーカルでした。バンド活動を通じて関係が深まり、5年後に結婚しました。」

――― 夢を追い続ける原動力は?
「自分の人生で後悔したくないという気持ちと、人を幸せにしたい思いです。」

――― 今後の展望は?
「鈴鹿8耐への出場と、尊敬される経営者になることです。イベント制作やインフルエンサー育成を通じ、多くの人の夢を支えていきたいです。」
東條さんは、家族や仲間、そして自分自身の経験を糧に、挑戦と支援の両立を続けている。


結章:どん底から学ぶ成功哲学

東條孝泰【JOE】さんの半生は、起業・倒産・就職・ネットワークビジネス・組織経営と、多彩な挑戦で彩られています。どんなに困難な状況でも、自分の選択に責任を持ち、学びを次の行動に活かす姿勢が、彼の人生哲学を形作りました。

「願い事は叶え事」という信念のもと、東條さんは人々の夢を叶える支援者としての立場を確立しています。自身の経験を活かし、他者の成功を自分の喜びとする生き方は、多くの人に勇気と希望を与えるでしょう。

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